オザケン

 あえて大人っぽい謙譲や敬称を避けて書きたいのですが、このところ「ラブリー」がスズキ自動車に、「さよならなんて云えないよ」がポカリスエットに、「ブギーバック」がビームスに、「強い気持ち・強い愛」がフジ27時間TVに、と使われて、もう1曲、光栄なカバーも予定されていて、色々考えたりします。
 僕の作品は、当時のチャートでわかるように、実は「懐かしもの」になれるほど売れてはいません。「さよなら」なんてチャート10位くらいで、みんなが当時を「なつい」と懐かしがれる曲は、他にあるはずです。
 それでも僕の曲が使われるのは、何か理由があって、その理由が何かは、複合的な要素があるはずで、よくわかりません。ただ思うのは、それらの曲は、聞いてくれる人たちと出会って、世の中で意味を持つようになったのだなあ、ということです。

 でも、僕のようにペースがゆっくりだと、例えば「さよなら」は、実はたった8枚前のシングル。いや、真面目な話。アルバムで言えば、3枚前の「刹那」に初めて入ったものです。だから、僕も普段「大昔の曲で」などと、人並みに調子を合わせるのですが、自分の正直な感覚としては、あまり前の作品ではないのです。おそらく、量を作っていないので。  
 例えば、作家で一生に4作くらいしか書いていない作家っていますが、ああいう人は、たぶん自分の第2作が30年前の作品であっても、大して古いものとは感じていないだろうと思います。逆に60作とか書いている作家は、15年前の作品でも、遠いものと感じるだろうし。いやまあ、「フツーに書けよ」「フツーにやれよ」と罵声を浴びそうですが、そうもいかず。笑  
 人には、多様なペースがあります。多様なリズム。世の中という、多様なリズムの森。  

 写真は「さよならなんて云えないよ」を書いた頃の、27歳の僕。こういう、今書いたようなことを見つけるべく、奮闘中の模様であります。後ろの看板に「オッケーよ」などと流れております。
 昔も、そして今も、曲に出会って、曲に力をくださって、ありがとう。それに見合うような曲を、なるべく、書きます。あ、なるべく。

2016年11月 
小沢健二


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